Jim O'Rourke : Eureka
ARTIST / Jim O'Rourke
TITLE / Eureka
LABEL / drag city
DATE / 1999
TITLE / Eureka
LABEL / drag city
DATE / 1999
[29-71]。過去盤レビュー。過去を引き受け、90年代を更新し、かろやかにミレニアムへの架け橋を作った快作。歴史的名盤にするには、まだ時間がかかるが、LRにとって圧倒的な精神的支柱であることに疑いの余地はない。僕は中学時代から生粋のガロ信者であったわけだが、もちろん本作のジャケを手がけているのが友沢ミミヨさんであったということに、まず圧倒的な親近感を覚える(続く"Insignificance "もそう)。そして、アコースティックな楽器が繰り出す澄み切った音響空間。当時の現代用語関係の本を読んでみるとしっかりと「音響派」という言葉が用意され、その中にJim O'Roukeが当然のようにクレジットされている。もちろん当然なのだが。祝祭的である。それまで、Gastr Del Solによって幽かに提示した方向性。フォークロア的な関心なのか、いわゆる「アメリカーナ」なるものの継承なのか、O'Roukeは自分流のポップスを軽やかに作り始めた。 Burt Bacharachのカバーなんかがその象徴として取り上げられる(O'Ruourkeは2010年に"All Kinds Of People: Love Burt Bacharach "でその関心のいったんをより明確に提示した)。サインウェーブでもプリペアドピアノでも、ギターインプロでも、なんでもなく、シンプルに音を構築し、シンプルに歌を聞かせる。歌モノ。われわれが歌モノというという、得てして想定されているのはJim O'Roukreである。僕たちの目の前に現れた本作は、彼がそれまでやってきた小難しいアプローチなどとの連続性を功名に隠していた。だからこそ、僕たちは、何の疑問も、何の高ぶりも、何のの気負いも気取りもなく、本作を手にとり、あるがままに再生し、あるがままに聴いた。簡単だった。単純明快に良かった。単純明快に彼は、歌っていた。鳴っている音それぞれに耳を凝らすという作業は、もっとずっとあとの話しである。僕たちはまさにこの1枚によって、「分かったぞ!」と叫んだわけで、それが何なのか分からないにしても、その首肯感を総体として受け入れたのである。本作をの澄み切った音を支えているのは、シカゴの仲間たちである。 Fred Lonberg-Holm(ホルン)、 Glenn Kotchke(ドラム)、Tim Barnes(パーカッション)、Darin Gray(ベース)、Rob Mazurek(コルネット)、Jeb Bishop(トロンボーン)、Robert Weston!(トロンボーン、トランペット)、Ken Vandermark(サックス)、Edith Frost(バックボーカル)、などなど。もう説明は省くぜ。めんどくさい。Gastr Del Solの"Camoufleur"に協力した面々も結構かぶっていることがよく分かる。そしてGlenn kotchkeなんかはその後のWilcoとの仕事などにつながっていくのだろう。今聴くと、本作が、今か今かとポップスの殿堂入りを狙っているのが分かる。手抜かりがない。もう完璧である。そのトータリティは鼻血が出そうである。どうなってんだこれは。どういう仕事なんだ。まさに天啓によって作られているとしか言いようがない。数々の天才音楽家たちが、なんとかたどり着こうとしたガラスのように洗練されたポップスの頂に、本作はO'Rourkeなりに上り詰めている。今じゃ、日本映画に見せられたか何か知らんが、だらだらと日本で制作に励んでいるO'Rouruke。大学で見たときも、難波ベアーズで見たときも、その他もろもろで見たときも、彼はいつも猫背で、Kurt Cobainのようにダルダルの服を着ていて、どうしようもないかっこよさを持っている。しかしだ。僕たちは、あなたが、到達した山で見た景色をもう一度見たい。もう一度、その世界のビューがどのように広がっているのかを見たい。日本という島国で、それができるのならば、それでもいい。とにかく、いつかあなたが、圧倒的な力でもって、ポップスの歴史を開いていくれるのならば、何のテレもなく、大きな声で、再び僕たちはEurekaと叫ぼう。世界中で。