Cornelius : Point
ARTIST / Cornelius
TITLE / Point
LABEL / toratoria
DATE / 2001
TITLE / Point
LABEL / toratoria
DATE / 2001
2200。以前紹介した盤"CM"。「from Nakameguro to Everywhere」。とうとう小山田君が名実ともに世界の小山田君になったという証左。ほんとうに目からうろこというか、個人的なリアルタイムの音楽経験に深く刺さった1枚。もちろん本作が出るまでに、先行シングルとしてリリースされていた'Point Of View Point'と'Drop'によってすでに彼の方向性は明確だった。もう涎がね、すごかったわけですよ。ここまで研ぎ澄まされてしまって。。どうしてこうなった、どうして1人でここへいったんだという。アコースティック・ギターとパーカッションの使い方がとても美しい。これまでの剽窃による力から解放された小山田君は、フィールドレコーディング、とまで意識的ではないにせよ、水やらの自然音を文字通りの音楽へとして組み入れる。リズムへの意識が先鋭化している。言葉も瓦解し、ボーカルまでキチンと音響的な広がりの中に置かれる。僕たちにとって本作は、見まごうことなく21世紀の音楽であり、それはばっちりと2001年に構築されたのであった。小山田圭吾という作家の存在が、これほどまでに高まった瞬間はないだろうし、僕たちだって誇らしい同時代に置かれたのである。照れもなく。本作がリリースされて10年以上たった。音楽の進化とやらがあるとすれば、それは多分、少なくとも僕の手の届く範囲では、止ってしまった。才気ばしった人たちは、自分たちがなした名誉の元で、たいして食うに困ることもなく、悠々自適に生活している。もはや評価への挑戦などというばかげたことをする必要はないのである。彼らが手に入れた名声と、音楽史をえぐったという実際によって、僕たちは彼らに頭を垂れて生きていくことになった。何も変わらないある程度飽和した世界、音楽。音楽はある。音楽はある。死ぬことはない。しかし音楽はもしかしたら、もうその可能性の地平を閉じられてしまったのではないかと。彼らは生き物ではない。だから音楽は死なない。でも音楽がとらまえる世界は、他の何かしらによって代替されてしまう現実ってのがある。それは握手券だったり生写真だったりする。そんな卑近な例は別にどーだってよい。あるいは、また、少なくともここ10年程度の蓄積を、上澄み以上のものとして、さらに醸成された全体からの剽窃によってまた四半世紀進むのかもしれない。その上でなお、僕たちにとって、音楽があり続けるのだとしたら、それは、もう少し先に用意されている今はまだふわふわとした不確定のイメージでもって、きっと実現されることだろう。そう祈るものである。名盤である。