Aphex Twin : Syro
ARTIST / Aphex Twin
TITLE / Syro
LABEL / warp
DATE /2014
TITLE / Syro
LABEL / warp
DATE /2014
2259。以前紹介した盤"Selected Ambient Works 85-92"。いやあ、出たね。本当に出ました。そしてそのまま、まるで過去から存在したかのように、2014年を象徴することもなく、流れていきました。残念なほどに、どこまで行っても、ただの普遍的なAphex Twinの名盤なのでした。8月の誕生日にリリースが発表されるやいなや、トリッキーな仕組みでその内容を参照させるやり方をとりつつ、なんら変わりもない、現在にはそぐわないのではないかという感想を軽やかにスルーするように駆け足でプロモーションを行い、そしてつつがなく発表された音源には、どこにも何も隠されていない、聴いてもなんの意外性もないRichardの音でした。文学的な意味行為としての針を落とす瞬間、もうね、13年ぶりっていう感慨もなにもかもふっとばして、ずっと耳元にタイミングを見計らうだけの姿勢であったかのようなふさわしさと確かさで鳴らされていて、驚きも何もなかった。感情とかそんなどうしようもないものがまとわり付くことのできない「確かさ」があった。その驚きのない驚きには、「ポップスとはこういうものですからねぇ」という、かつてはとがった(と位置づけられていた)音楽を聴いていけどメインストリームの不在を嘆く美学者の感慨をも納得させる力があった。確かさ。この圧倒的なまでの確かさ。誰も期待していない確かさ。期待するということすら馬鹿らしく、そのおろかな行為を通り越して、超越論的に素晴らしい音楽は存在するという、確かさ。そんな音楽を聴いたところで、テンションがあがったり、食事が美味しくなったり、坐骨神経痛の激痛が治ったり、そんな形而下的な変化がもたらされるわけではない。過去が喚起される。未来は。未来は、存在するというなんだか良く分からない気分が喚起される。そしてそのどちらもが、現在という存在しない一点でもって消失する。あるいは持続する。主体性は簡単に取り外されて、僕たちは、踊らされる。ダンス。Richard D.Jamesという初老を迎えた、子持ちの髭の生えた、笑顔の気持ち悪い、ただの現代の天才音楽家にとって、僕たちは本当に些細な存在だと思うけど、お金をかき集めるにはちょうど良い時期だったのだろうし、あるいはもっと気まぐれな稚気でもって、僕たちを適度にからかおうとしたのかもしれない。金銭面での成功は、ポピュラー音楽産業の崩壊によってどの程度保証されたかは知らないけど。このほかにも作られているというエクスペリメンタルな内容の楽曲が、ここ半年でリリースされたらという嘘も本当も全て止揚する適当な発言も、全てが何だか現実のように思えなくて、それはいつだってこの一瞬に鳴っている音楽が全てで、ただのそれだけであるということだってことなのだろう。もうwarpからは出さないっていったのにさ。断片化された近景には、にやにやした口元は失われている。この音楽は、いつだってただの音楽としてなり続けることをやめないだろう。ここに確かさの音楽が誕生した。別次元の傑作。聴くまでもなく、鳴り続けている、ただの音楽。