大森靖子 : 洗脳 (type ■)
ARTIST / 大森靖子
TITLE / 洗脳 (type ■)
LABEL / エイベックス
DATE / 2014
TITLE / 洗脳 (type ■)
LABEL / エイベックス
DATE / 2014
2255。以前紹介した盤"きゅるきゅる"。思えば僕たちは音楽を語るジェイポップに憧れ続けてきた。僕たちの中学時代には「それでは音楽...音楽...」といってそのジェイポップは始まった。中村一義だった。彼は1stからすでに所属的にはメジャーだったが、90年代に熟成されきったマイナーストリームのなかで、2枚のアルバムを出し、そしてメジャー級の体力を持って『ERA』を提出した。2000年。時代とはそういうものだった。それはマイナーストリーム的には、多分、売れた。90年代のジェイポップ産業は、メジャーはそのままの意味で圧倒的な資本で、ポップスが大好きな人たちに買い支えられて成立されていたから、マイナーストリームの大ホームランだった『ERA』は、売れたとは言いがたいかもしれないけど、それでも『ERA』は文字通り大々的に時代を作った(当時はそんな気がした。今の影響は知らない)。もちろん僕たちにとっての中村一義は60年代70年代の洋楽ポップスをキメラ的に接合し、自らのブシへと昇華させた1997年の『金字塔』であったことは今でも変わらない。中村一義は言葉と音楽を兼ね備えた天才だった。4年間の出来事だった。その後、彼が何をしているのか知らないけど、その4年間は本当に完璧だった。
関係ない話はさておき、本作は大森靖子によるメジャーデビューアルバム。実質的には3rd。傑作1st、そして2ndときて、驚愕のスピードで本作は提出された。 当時の中村一義よりも年齢は高いが(それは中村さんがすごすぎただけだが)、かかった期間はたった2年間である。僕たちは思い出を昇華する時間もなく、モンスター級の孵化に対して、混乱する余裕すら与えられない。ガロ的(という言葉しか僕にはない)なロマンエモをかなぐり捨てて、壮大な虚妄としてのジェイポップへと変貌を遂げた本作は、どこまでも論理的な計算によって裏打ちされた身振りによって生産されている、万歳。
Lサイドがtwitterで指摘しているように、本作のジャケ写は左内正史である。大森さんがおそらく相手にしようとしているリスナーにとって、響きようのない名前である。僕自身もwikiってようやく「はあ、へえ」ってな具合なんだが、左内さん自身が世に出て直後に手がけた1枚が先にあげた『金字塔』であるというのは、どうでも良いというには、あまりにも自己論理を担保するような符合であり、彼の撮り卸し写真集を少なからずプッシュするという姿勢にすら因縁めいたうれしさすらあるという。まじでどうでも良いが。
間違いなく大森靖子は天才である。中村一義がそうだったように。しかし彼女は、それ以上に計算高く、論理で貫かれた思考を持っている。彼女の最高にエモいやり方は、自慰の方法であって、感性とは別の話である。あまりにも意識的にやってのけられる制作は、彼女の本作を廻るインタビュー(参考12)を読めばすぐに見える。
「いかに本質を残したままやるかっていうのをすごい意識してるんで。そこをガラッと変えちゃうと、それこそ「メジャー行ってダメになったね」とか言われるわけだし。決まり文句だしそう言われるのは別にいいんですけど。でも本質を曲げないための計算はすごくしてます」
大森さんが、エモで偽装した思考型であることは個人的には魅力の大部分を占めている。本作がその「決まり文句」を抜け出ているのかはそれぞれが感じることだが、その判断は結局それぞれの価値基準、趣味の問題であり、そんなもんは一番どうでも良い(が、意外と大森さんは嫌悪感をむき出しにする)。趣味の問題として、本作は僕は考え抜かれたポップアルバムでモンスター的な体格で勝負しているが、全然僕は好きではないということもどうでもよい。その理由は大森靖子がそういう手法を選択しているのだから、そりゃそうだろうということでしかない。
「基本的に弱い言葉は全部ダメって思ってやってたんです。この「ノスタルジックJ-pop」も(Aメロの)「ちょっと大事すぎて気持ち悪いの」のところと か、まわりくどいしちょっと弱いんです。でも今までは本質的なことと引っ掛け以外は全部消すみたいなとこあったんだけど、今回はだいぶオッケーにしましたね」
本作はメジャー用にゼロから立ち上げられたそれ用の曲の集まりであり、「ライブ用に作っていない」ものたちである。大森靖子のライブは本当にすごいけれど、音源としてはそのような選択は彼女には初めからない。本作はどこかに大量に存在している(らしい)人たちのために作られたモンスター級の1枚、なのだろう。多分。その判断は結局売れるかどうかが全てであり、それは彼女が現在目指すところであり、本作は売れることによってのみ、名盤となれる。話を戻そう。
「弾き語りは音量も一定なので、どうしてもそうなっちゃう。それを回避するために私が武器にしていたのが言葉や歌い回しだったんですけど、音源にするときに はライブほどそれを大げさにする必要はないので、結構余白を作れるんですよ。音源の場合は、基本的にBGMにもならないとダメじゃないですか。だから、こ れまでの判断だと破壊力が弱いから使わなかった言葉でも、言いたいこととか、面白くて音的に遊べるものとかを結構自由に使えた」
リー・ウーファンの美学のような、空っぽな「余白」。ここで美大的なほのめかしを僕が選択をすることにも意味がない。とにかく楽しいそうでなりよりだ。あとは、そう売れるだけだ。何度もいうが。但し、ひとつだけ、天才だからこそ持つ欺瞞を、大森靖子にも感じないことはない。
「 制作は、基本的にはデモをそのまんま渡して自由に仕上げてもらった感じです。もっと頭打ちを増やして「バーンバーン!」みたいな、馬鹿でも分かるぜ!みたいな感じにしてほしいとか、音楽的に頭脳派みたいなことはやんないでください、とかはすごく言いましたけど」
大森靖子が相手にしようとする「馬鹿」が本作をどの程度支持するのか。本当に楽しみで仕方がない。天才である彼女の戦略が成功することによって、本作は90年代から00年代までのジェイポップを、大森靖子という中心を据えてキメラ的につなぎ合わせた傑作となる。本当に売れて欲しい。そして天才がまだ存在するという夢と希望を、無能な僕たちに与えて欲しい。でも、なめないで欲しい。まじで。いや、ただの消費者は天才のおこぼれに与かるただの馬鹿であることを否定しないけど。個人が解体したマス。ただのエヴァンゲリオンである。
「私のこと好きでも嫌いでも、言葉にどんなに嫌悪感を抱いても、絶対に頭に残るメロディを作ろうと思った...そのためのトリックはいっぱい使っていて、売れているJ-popを50位くらいまで解析すると、そのうちの30曲は使っているような定番の形式があるので、それは全部使ってしまおうという感じ」
全13曲からなる本作は、見事なまでにきらびやかでキャッチーなポップスがぶち込まれて、つんく。が最近試しているプログレッシブ歌謡曲を、もう少しだけアバンギャルドに生成しつつ、小室哲也、浜崎あゆみ、SPEED、中島みゆき、松任谷由美、松田聖子、相対性理論、Perfume、かまってちゃん、キックザカンクルー、渋谷系、90年代女性マイナーストリーム、NHK合唱曲、ニコ動P、その他大勢、実際に参照されているされていないに関わらず、もう大森さんが意識的無意識的に浴びた音楽をパクリにパクッて、あるいはパクリにパクッた奴らと同時代的に、やってのけられている。あるいは制作陣たちの趣味をぶちこんでやってのけられている。本作はどこまでも売れるために集合している。売れなきゃ意味ない。コンセプトはメジャー。目的は売れること。売れろと思う。大森靖子は天才である。それを数値的に証明できるなんとも分かりやすい冴えたやり方だ。昨今流行の複数販売商法も採用しているわけだから。全力だよ。
でも、逆の気持ちもある。そうすれば、彼女はまた、ジェイポップではなく<音楽をすること>について語ってくれるだろう と思うから。この傑作には、おそらく天才なのであろう大森靖子はいるが、僕の好きな大森靖子はいない。もちろんそんな気持ち悪い趣味性はまじでどうでも良い。でも彼女の数々の理知的な言葉が事実であるならば、大森靖子は楽しくやっているが、本気を出していない。大森さんの歌声はあるが、彼女が明らかにするように、もはやデモのささやきである。それを音源とライブの違いとして片付けるなら、それが彼女の幸せなら、もうどうしようもない。初音ミクにでも歌わしておけばよかったのに。ただ、本人が楽しいに越したことはない。それが目指す場所なんだから。ファンはただ、応援するだけ。
もちろん大森さんは優しいので、あるいは狡猾に、絶妙なバランスで、僕のような糞みたいな過去を盲信する一部のファンへの目配せも忘れていない。僕の購入したtype■では、ライブDVDが封入され、タワレコの予約特典には、『夏の弾き語り6曲選』という音源をつけている。「夏果て」「絶対彼女」「エンドレスダンス」「サマーフェア」「ラーメンの話」「キラキラ」。この2年でうたいすぎて飽きてるんじゃないかと心配になるほどの曲たちがそこにはある。そんなことされたら、僕は糞のように黙るしかない。あるいは唯一弾き語りで収録された「デートはやめよう」。良い曲である。本作に隠された唯一のエモロマンである。そういえば、「サマーフェア」も「ラーメンの話」も、「ワンダフルワールドエンド」も、本作からはこぼれ落ちた。本作にはふさわしくない、次の話なんだろう。そうだったらよいけど、多分違うだろうなぁ。
武道館を到達点として、プロデューサーを目指すという大森さん。さようなら、久しぶりの音楽をありがとう。そして、これから習慣とカルチャとしてのジェイポップのなかで、大森さんがどのように楽しくやっていくのか、とても楽しみである。とりあえずMステですね。大森さんは、僕にとっての中村一義のような存在になるだけにとどまらず、また別のアプローチ、新時代の本当のポップスターを目指しているのだ。多分。そして、本作はプロデ大森靖子による、どこかの誰かの1枚であったならば、また違う話になっただろう。
余談ながら、「デートはやめよう」「ノスタルジックJ-POP」「呪いは水色」を除けば、プログレ歌謡曲が一番成立している「焼肉デート」と、ファンクに終焉する「おまけ~スーパーフリーポップ」が比較的良いかなぁ。いや、好きかなぁ。もちろん13曲全てが、計算通りのモンスター級のキャッチーさだから、壮絶っちゃ壮絶で、すごい1枚だと思う。天才だと思う。本当に。
「 最近、無人島で絵を描きたいって気持ちにすごくなるんですよ。そっちの方が楽しいに決まっている。けど、やらなきゃいけないことがあるから」
僕は画家が大好きだ。とはいえ、大森靖子はやることがある。次の話を考えなければならないのだ。それが何であれ。
そして最後に。目下、日本の音楽史に名を残す『名盤』が着々と制作されている。これは僕の信じる天才が、どこまでも計算づくで作っているだけではなく、何よりも僕の趣味にあっているという意味で、最高の1枚になることは何の疑いもない。
関係ない話はさておき、本作は大森靖子によるメジャーデビューアルバム。実質的には3rd。傑作1st、そして2ndときて、驚愕のスピードで本作は提出された。 当時の中村一義よりも年齢は高いが(それは中村さんがすごすぎただけだが)、かかった期間はたった2年間である。僕たちは思い出を昇華する時間もなく、モンスター級の孵化に対して、混乱する余裕すら与えられない。ガロ的(という言葉しか僕にはない)なロマンエモをかなぐり捨てて、壮大な虚妄としてのジェイポップへと変貌を遂げた本作は、どこまでも論理的な計算によって裏打ちされた身振りによって生産されている、万歳。
Lサイドがtwitterで指摘しているように、本作のジャケ写は左内正史である。大森さんがおそらく相手にしようとしているリスナーにとって、響きようのない名前である。僕自身もwikiってようやく「はあ、へえ」ってな具合なんだが、左内さん自身が世に出て直後に手がけた1枚が先にあげた『金字塔』であるというのは、どうでも良いというには、あまりにも自己論理を担保するような符合であり、彼の撮り卸し写真集を少なからずプッシュするという姿勢にすら因縁めいたうれしさすらあるという。まじでどうでも良いが。
間違いなく大森靖子は天才である。中村一義がそうだったように。しかし彼女は、それ以上に計算高く、論理で貫かれた思考を持っている。彼女の最高にエモいやり方は、自慰の方法であって、感性とは別の話である。あまりにも意識的にやってのけられる制作は、彼女の本作を廻るインタビュー(参考12)を読めばすぐに見える。
「いかに本質を残したままやるかっていうのをすごい意識してるんで。そこをガラッと変えちゃうと、それこそ「メジャー行ってダメになったね」とか言われるわけだし。決まり文句だしそう言われるのは別にいいんですけど。でも本質を曲げないための計算はすごくしてます」
大森さんが、エモで偽装した思考型であることは個人的には魅力の大部分を占めている。本作がその「決まり文句」を抜け出ているのかはそれぞれが感じることだが、その判断は結局それぞれの価値基準、趣味の問題であり、そんなもんは一番どうでも良い(が、意外と大森さんは嫌悪感をむき出しにする)。趣味の問題として、本作は僕は考え抜かれたポップアルバムでモンスター的な体格で勝負しているが、全然僕は好きではないということもどうでもよい。その理由は大森靖子がそういう手法を選択しているのだから、そりゃそうだろうということでしかない。
「基本的に弱い言葉は全部ダメって思ってやってたんです。この「ノスタルジックJ-pop」も(Aメロの)「ちょっと大事すぎて気持ち悪いの」のところと か、まわりくどいしちょっと弱いんです。でも今までは本質的なことと引っ掛け以外は全部消すみたいなとこあったんだけど、今回はだいぶオッケーにしましたね」
本作はメジャー用にゼロから立ち上げられたそれ用の曲の集まりであり、「ライブ用に作っていない」ものたちである。大森靖子のライブは本当にすごいけれど、音源としてはそのような選択は彼女には初めからない。本作はどこかに大量に存在している(らしい)人たちのために作られたモンスター級の1枚、なのだろう。多分。その判断は結局売れるかどうかが全てであり、それは彼女が現在目指すところであり、本作は売れることによってのみ、名盤となれる。話を戻そう。
「弾き語りは音量も一定なので、どうしてもそうなっちゃう。それを回避するために私が武器にしていたのが言葉や歌い回しだったんですけど、音源にするときに はライブほどそれを大げさにする必要はないので、結構余白を作れるんですよ。音源の場合は、基本的にBGMにもならないとダメじゃないですか。だから、こ れまでの判断だと破壊力が弱いから使わなかった言葉でも、言いたいこととか、面白くて音的に遊べるものとかを結構自由に使えた」
リー・ウーファンの美学のような、空っぽな「余白」。ここで美大的なほのめかしを僕が選択をすることにも意味がない。とにかく楽しいそうでなりよりだ。あとは、そう売れるだけだ。何度もいうが。但し、ひとつだけ、天才だからこそ持つ欺瞞を、大森靖子にも感じないことはない。
「 制作は、基本的にはデモをそのまんま渡して自由に仕上げてもらった感じです。もっと頭打ちを増やして「バーンバーン!」みたいな、馬鹿でも分かるぜ!みたいな感じにしてほしいとか、音楽的に頭脳派みたいなことはやんないでください、とかはすごく言いましたけど」
大森靖子が相手にしようとする「馬鹿」が本作をどの程度支持するのか。本当に楽しみで仕方がない。天才である彼女の戦略が成功することによって、本作は90年代から00年代までのジェイポップを、大森靖子という中心を据えてキメラ的につなぎ合わせた傑作となる。本当に売れて欲しい。そして天才がまだ存在するという夢と希望を、無能な僕たちに与えて欲しい。でも、なめないで欲しい。まじで。いや、ただの消費者は天才のおこぼれに与かるただの馬鹿であることを否定しないけど。個人が解体したマス。ただのエヴァンゲリオンである。
「私のこと好きでも嫌いでも、言葉にどんなに嫌悪感を抱いても、絶対に頭に残るメロディを作ろうと思った...そのためのトリックはいっぱい使っていて、売れているJ-popを50位くらいまで解析すると、そのうちの30曲は使っているような定番の形式があるので、それは全部使ってしまおうという感じ」
全13曲からなる本作は、見事なまでにきらびやかでキャッチーなポップスがぶち込まれて、つんく。が最近試しているプログレッシブ歌謡曲を、もう少しだけアバンギャルドに生成しつつ、小室哲也、浜崎あゆみ、SPEED、中島みゆき、松任谷由美、松田聖子、相対性理論、Perfume、かまってちゃん、キックザカンクルー、渋谷系、90年代女性マイナーストリーム、NHK合唱曲、ニコ動P、その他大勢、実際に参照されているされていないに関わらず、もう大森さんが意識的無意識的に浴びた音楽をパクリにパクッて、あるいはパクリにパクッた奴らと同時代的に、やってのけられている。あるいは制作陣たちの趣味をぶちこんでやってのけられている。本作はどこまでも売れるために集合している。売れなきゃ意味ない。コンセプトはメジャー。目的は売れること。売れろと思う。大森靖子は天才である。それを数値的に証明できるなんとも分かりやすい冴えたやり方だ。昨今流行の複数販売商法も採用しているわけだから。全力だよ。
でも、逆の気持ちもある。そうすれば、彼女はまた、ジェイポップではなく<音楽をすること>について語ってくれるだろう と思うから。この傑作には、おそらく天才なのであろう大森靖子はいるが、僕の好きな大森靖子はいない。もちろんそんな気持ち悪い趣味性はまじでどうでも良い。でも彼女の数々の理知的な言葉が事実であるならば、大森靖子は楽しくやっているが、本気を出していない。大森さんの歌声はあるが、彼女が明らかにするように、もはやデモのささやきである。それを音源とライブの違いとして片付けるなら、それが彼女の幸せなら、もうどうしようもない。初音ミクにでも歌わしておけばよかったのに。ただ、本人が楽しいに越したことはない。それが目指す場所なんだから。ファンはただ、応援するだけ。
もちろん大森さんは優しいので、あるいは狡猾に、絶妙なバランスで、僕のような糞みたいな過去を盲信する一部のファンへの目配せも忘れていない。僕の購入したtype■では、ライブDVDが封入され、タワレコの予約特典には、『夏の弾き語り6曲選』という音源をつけている。「夏果て」「絶対彼女」「エンドレスダンス」「サマーフェア」「ラーメンの話」「キラキラ」。この2年でうたいすぎて飽きてるんじゃないかと心配になるほどの曲たちがそこにはある。そんなことされたら、僕は糞のように黙るしかない。あるいは唯一弾き語りで収録された「デートはやめよう」。良い曲である。本作に隠された唯一のエモロマンである。そういえば、「サマーフェア」も「ラーメンの話」も、「ワンダフルワールドエンド」も、本作からはこぼれ落ちた。本作にはふさわしくない、次の話なんだろう。そうだったらよいけど、多分違うだろうなぁ。
武道館を到達点として、プロデューサーを目指すという大森さん。さようなら、久しぶりの音楽をありがとう。そして、これから習慣とカルチャとしてのジェイポップのなかで、大森さんがどのように楽しくやっていくのか、とても楽しみである。とりあえずMステですね。大森さんは、僕にとっての中村一義のような存在になるだけにとどまらず、また別のアプローチ、新時代の本当のポップスターを目指しているのだ。多分。そして、本作はプロデ大森靖子による、どこかの誰かの1枚であったならば、また違う話になっただろう。
余談ながら、「デートはやめよう」「ノスタルジックJ-POP」「呪いは水色」を除けば、プログレ歌謡曲が一番成立している「焼肉デート」と、ファンクに終焉する「おまけ~スーパーフリーポップ」が比較的良いかなぁ。いや、好きかなぁ。もちろん13曲全てが、計算通りのモンスター級のキャッチーさだから、壮絶っちゃ壮絶で、すごい1枚だと思う。天才だと思う。本当に。
「 最近、無人島で絵を描きたいって気持ちにすごくなるんですよ。そっちの方が楽しいに決まっている。けど、やらなきゃいけないことがあるから」
僕は画家が大好きだ。とはいえ、大森靖子はやることがある。次の話を考えなければならないのだ。それが何であれ。
そして最後に。目下、日本の音楽史に名を残す『名盤』が着々と制作されている。これは僕の信じる天才が、どこまでも計算づくで作っているだけではなく、何よりも僕の趣味にあっているという意味で、最高の1枚になることは何の疑いもない。